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中村哲さんあれこれ

2021年8月1日

私ごときが中村哲さんについてあれこれ論じるのもおこがましいのですが 今日は少しおしゃべりしたいとおもいます 私は大地を失ってからTVを見たくなくなり 数年前の引っ越しを気にTVのない生活を送っております 皆さんもコロナで外出が遠慮されるしオリンピックなど見られてそれなりに感動も味会われておられることと存じます 私は時々映画を見たりバードウォッチングなどしたりしておりますが 夏場になるとバードウォッチングもできません 暑い!!

中村哲さんへのつれづれ

先日の集会参加と哲さんの書かれたものなど読んで ボランテアとはを改めた考えさせられております フキノトウの会もボランテアの会です 私もボランテアしているつもりです 人間はボランテアなどほんの些細なことでも 自分はいいことしているという感覚に陥りがちです そのことを私自身が本当に自覚しているのかどうかわかりません が大地を失ってからの自分の行動の見方は大きく変わりました 仕事も福祉関係ですし 障害を持たれている方とのボランテア経験もありました が大地を失ってから距離の取りかたというのかが変わりました おそらく同情という感覚がなくなったとまではいえませんが かなり少なくなったように思えます ここら辺の気持ちの変化はお伝えするのは微妙ですし 自死遺族の皆さんもそれなりに経験されておられることと存じます

前置きはそれくらいにして

中村哲さんに心動かされたのは そこら辺のところも大きいかと思います 彼もクリスチャンです 一粒の麦 という聖書に出てくる言葉が中村さんにピッタリのように思われます アフガニスタンで一粒の麦に徹して生きようとされていたように感じました

 中村さんと直接お会いしたことはないのです それと偉業をなされた方たちはとても良い面を強調されて伝えられてしまうこともあるのですけれども

 

人は私も含めてちょっとでもよいことをすると自分は偉いと思い込んでしまうのがほとんどの人の陥る本姓だと思うのです 政治家の人たちが良い例ではありませんか 中村哲さんはそこら辺を常に意識してアフガニスタンという異文化の方たちと生きてこられたようです キリスト教は今までの歴史で自分たちの主義主張のために多くの異文化を消滅させまた今も争いの火種となっております 同じ聖書の理解でも中村哲さんの行動とはまるでちがいます 

私も聞きかじりでよく知っているわけではないのですが お釈迦さまはひとりではないそうです 実在してたのかわかりませんがゴータマ・シッダルータというお釈迦様は 王家に生まれて大切に育てられ 成人されてからかわかりませんが 守られていた城というテリトリーから人間が生活している生老病死の世界に無常を感じて世を捨てたとか 中村哲さんは無常も感じつつ現実のご自身の生活も大切に自分の家族も大切にアフガニスタンの人たちの生活も大切に生きておられたように感じました 私たちが大切にしなくてはならないことは何なのかを改めて考えさせられてしまいました 

大地を死なせてしまった私は大切な大地を大切してはいなかったのではないのか 失ってからしかわからなかった自分の愚かさを改めて思い知らされております 中村哲さんのような生き方はできなかったけれど でも小さな中村哲さんは私たちの周りにも大勢いると思います

そこら辺を希望にするしかないなーと。。。。。。。

また皆さんの感想をお聞かせください 8月12日に 

 

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